【王道は廃れない】_Essay

先日の熱海旅行では 
少し思うところがあり 
残しておこうと思う。

熱海といえば 
昔の新婚旅行の定番だと聞いたことがある。 
それくらいかつては憧れの場所だったと言うことだが 
今はどんなイメージを持つだろうか?

今さら改まって行くところでもないと思うだろうか?

わたしは以前からずっと行ってみたい場所だった。

何せ
海と温泉と魚介が揃っているではないか!

初めて訪れた熱海だったが
平日ということもあり
もちろんコロナ禍ということもあってか

めちゃくちゃ混雑しているということはなく

閉まっている店もたくさんありはしたが
それでも活気を失っていないように思えた。

立ち並ぶホテルは
古さを感じさせるものが多かったが
それでも新しいものなのか
リノベーションなのか
小洒落た雰囲気のものもたくさんあった。

わたしは
かつてはリゾートマンションと呼ばれたであろう
ホテルに泊まったのだが

立地は目の前が海で
オーシャンビューではなく
すべての部屋がオーシャンフロントという場所だった。

しかし先述の理由で
価格はとても良心的で
わたしでも泊まれるくらいだった。

部屋から見える景色はもちろん
部屋に居ても聞こえる波音は
わたしを十分過ぎるほど癒してくれた。

建物は古かったが
そんなことは
目の前の自然に比べたら
まったくどうでも良いことだった。

もちろんわたしにとっては、だが。

ホテル内には大浴場があり
もちろん温泉なのだが

贅沢なのは
部屋の中にある
見た目はフツーのバスタブの蛇口からは
温泉が源泉で出てくるというものだ。

源泉は80度くらいだったか
とてもそのまま入ることはできないし
水で薄めるのも勿体無いと思ったので

チェックインするないなや
ちょろちょろと源泉を出して
浴槽を埋めるという策を取った。

夕食朝食二食付きだった。
特に珍しいとか豪華なメニューでもなかったが
十分にお腹も膨れたし
どの料理も美味しかった。
スタッフのサービスも心地良かった。

インスタ映えするようなものは
一つもなかったと言えるのだが

景色の良さと
温泉の良さ
という自然物の前では

建物の新しさなど
到底勝ち目はないのだと感じた。

わたしたちは
日々新しい技術の恩恵に預かっているが

どこまで行ってもやはり
自然なるものを追い求める。

むしろ
自然の前には
どうでも良くなってしまう自分がいる。

景観が素晴らしい場所のすぐ近くには
何十人も亡くなったという地滑りの現場があり
復旧の後がまだ色濃く残っていて
自然の恐ろしさも目の当たりにしたが

それでも人は
またそこに建て
またそこで生活を始めるのだろう。

わたしたちは
自ら然であるものを求めずにはいられない。

そして
自ら然であることが
生きる道の王道であると感じている。

テレビなどで
特集されることは少なくなっても
自ら然であるものは
決して廃れないものだとひしひしと感じた。

流れの早いこの時代にあって
常日頃偉そうに
クライアントさんたちに話しているわたしも

ふとしたときに
不安のような感情が上がってくる。

しかし

「王道は廃れない」という
熱海での再認識は
わたしに自信を取り戻してくれるのに
十分な感覚だった。

これまでも
細々とではあるが
この仕事を続けてこられた。

クライアントさんたちも
当初から比べたら
仕事も健康も家族も人間関係も
どの分野においても飛躍している方がほとんどだ。

王道を目指そう。
地味であっても。

いや、王道を目指すからこそ
派手さがないのかもしれない。

熱い海と書いて「熱海」

なるほど

地熱のせいなのか
伊豆も含め温泉街から離れると
足元から冷えてきた。

名古屋の方がよっぽど寒い。

帰ってきてから
またすぐに行きたくなった。

やっぱり
自分が行きたい!と感じるところは
何かしら意味がある場所だと思う。

特にテレビが無いわたしのような人間が
突然行きたくなるようなところは
自分が欲している「氣」があるんだろうと思う。

連泊できるように頑張るとするか!

乱筆御無礼m(_ _)m