今月の一言(2026年7月)にかえて

みなさん、こんにちは。
いつもありがとございます♪
7月がスタートして一週間が経ちました。
今日は七夕です。
さて
タイトル通り
今月の一言は卒業することとなりました。
ここ最近はずっと
なかなか今月の一言をお伝えするのが
遅くなっていましたが
とうとう終わりになってしまいました!
不思議なものです。
遠隔調整では
個々へのメッセージがなくなってきているのに
(申込者への共通メッセージ)
不特定多数のブログでは
それぞれ個々に
自分自身で設定せよとのこと。
一見、チグハグのようで一貫しています。
それは
「自分でまず感じること」です。
これまでは
自分で考える「きっかけ」としての
メッセージだったり
解釈をお伝えしてきましたが
「自分で考える」
「自分で感じる」
ことを
「するかしないか」も
自分で選択する必要があるということ。
学校教育をイメージしてもらうとわかりやすいです。
義務教育までは
「みんなで同じこと」を学ぶのが優先されました。
高校になると
多少の選択肢が出てきます。
でも
赤点を取る人はいても
先生からの支援が入って
進級できない人はほとんどいません。
これまでは
高校と同じイメージです。
多少それぞれの選択肢はあっても
進む方向性はだいたいみんな似通っていて
危なくなっても救いの手が差し伸べられる。
しかし
今後は大学方式です。
授業を受けるのも受けないのも自由。
サボったからといって
教授は出席だけ取って何も言いません。
単位が取れないだけです。
単位が取れなければ卒業できません。
自分が卒業できるかどうかは
誰も心配していません。
気にかけてくれる人もいません。
どれだけ学ぶか学ばないかも
自分で決めます。
サボっているからといって
怒られません。
単位が取れないだけです。
テストで点数が悪くても
呼び出されることはありません。
単位が取れないだけです。
どれだけ学んでもいいし
それだけサボってもいい。
ただ学ぶ機会が提供されているだけです。
面倒は見てくれません。
これまでは
高校のような方式で
手厚いサービスをしてもらっていましたが
本当に大学と同じような方式で
学ぶ機会が提供されるだけとなりました。
今月の一言は
高校教育のようなものでした。
今月はこの単元を学びましょう!
この基準まで頑張らないと
赤点になりますよ〜
という指針でした。
それすらも不要とのことです。
大学と同じで
必要な人だけが
必要なことを学びに来ればいいそうです。
そしてその内容は
高校よりもはるかに専門的で
どんな分野にも対応できる「真理」というものです。
今月の一言がなくなっても
ぜひみなさんは
自分で感じて考えて行動して
結果を受け入れて
また
感じて考えて行動して
自分の人生を「主席」で謳歌してください。
わたし個人の話としましては
よく考えたら
今年で
開業18周年となりました。
クライアントさんから言われなければ
そんなことすら
すっかり忘れてしまっているくらい
ただ毎日を幸せであるように過ごしています。
長い間
みなさんの大切な人生に関わらせていただき
本当に光栄に思います。
いつもありがとうございます。
今後も世の中の変化に伴い
どんどん形は変わっていくと思いますが
よろしくお願いいたします。
この場を借りて
お礼のご挨拶させていただきます。
先日
御嶽山の7合目まで行ってきました。
登山ではありませんが
修験者たちが修験したところなだけあって
なかなかの険しい階段でした。
ここ数年
いわゆる山岳信仰と言われる神域に
とにかく呼ばれては訪れています。
みなさんへのご案内が許された場合は
遠隔調整という形でお知らせしていますが
すべてではありません。
体力的にも準備が必要なので
これもわたしの人生後半に必要なことなのだと感じています。
強制的に起きてくるのだけは
やめてもらいたいんですけどね笑
全国の霊峰と言われる場所
山岳信仰から神社になったところ
そんなところが多いです。
御嶽山が登ってこいと言うので笑
登れる身体になったら絶対まいります!
とその場は答えましたが
後から調べたら
マジものの「登山」で
ハイキング感覚では完全NGだったので
やっぱりやめるかもしれません!と
言い直しておきました爆
白山を登ったときのトラウマが強すぎて
ちょっとマジの登山は・・・・笑
安請け合いするものではありませんね!
とはいえ
金毘羅宮へ行くよう指示されていますので
ちょっとした練習になったと思います。
金毘羅宮へは奥宮まで
石段で1300段あまり・・・
がんばります!
一応7月中に計画しておりますので
近々ご案内をさせていただきますが
今回は初の「奥宮」のご案内です。
本宮と奥宮をわけるのかどうかは
まだ決まっていません。
詳細が決まり次第またご案内いたします。
今月の一言も卒業
無料のメール質問も廃止
なかなかお気軽にどうぞ!とは
言えない状況になってきましたが
それも意図されたことですので
先ほどお伝えした通り
大学方式になりました。
学びたい人にとっては
最高峰の学び舎だと自負しております。
どうぞご安心して
思いっきり学んでください!
最近のみなさん中には
学んだことを
本当にいろんな分野に使って
実現できるようになっているので
とても嬉しいです!
まるで見違えるようですね!
コツを掴みさえすれば
早いと数日で結果を実感されていますからね!
わたしも楽しみで仕方ありません。
みなさんが自分で人生をデザインすればするほど
わたしがお伝えすることも高度になってまいります!
こんな話をするときが来ましたか〜と
よろこびに打ち震えております^^
一方で
ずっと同じ内容を伝え続けている方もいます。
気持ちが空回りしてしまったり
恐れや焦りが源のモチベーションだと
現象化は難しいです。
なぜなら
「こうでありたい!」という願望ではなく
「こうは嫌だ!」という執着だからです。
執着が強ければ強いほど
望みからは遠くなります。
強い執着は
ある意味では現象化は可能ですが
「幸福」はついてきません。
どちらかしか選べないんです。
例えば
「お金が欲しい!」と強く執着したとします。
執着を原動力にすれば
盗んだり奪ったりすれば可能です。
しかし
幸福は遠くなります。
お金があれば「幸福」だと信じているから
お金に執着するのに
執着することでお金が手に入っても
幸福が遠のいたら本末転倒ですよね。
幸福を伴ってお金を得るには
執着を手放す必要があります。
執着は
強い「価値観」「信念」によって生まれます。
ですから
価値観を変える必要があるのです。
執着でしかモチベーションが上がらない人は
価値観を捨ててモチベーションが減ると
行動できなくなります。
すると現象化も進みません。
執着の代わりに
「こうでありたい!」という
純粋な願望が必要なんです。
現象化が進まない人は
それが乏しい人が多いです。
執着を願望だと勘違いしているのです。
願望を掘り下げてみると
不純な執着なのか
純粋な願望なのか見えてきます。
なぜお金が欲しいのか?
なぜなら、お金がないと「〇〇できない」から。
とか
「〇〇が嫌だから」という答えになったら
それは執着です。
なぜ健康になりたいのか?
「死にたくないから」
これは執着です。
「健康だったら、こんなこともできる!
あんなこともできる!
楽しい人生じゃないですか!」
ってサラサラ出てくるならば
それは純粋な願望です。
執着からきている偽物の願望になっていませんか?
これからの時代
わたし達が今学んでいる内容は
これまで以上に価値のあるものとなります。
どうぞ
ご自身の幸福な人生だけでなく
まわりの方々へのお手本としても
ますます光り輝いてくださいませ!
長くなりましたが
今月の一言にかえて
思いつくままに書いてみました。
それではまた
元気にお会いいたしましょう!
最後までお読みいただきありがとうございます。

御嶽神社参道

御嶽神社境内

